東京高等裁判所 昭和42年(う)2397号 判決
被告人 石原恒 外五名
〔抄 録〕
本件の取引自体は関係証拠によつて明らかであり、被告人らも概ね認めて争わないところであり、原審において争われた重点は、犯意と共謀であるから、右供述調書中この点について考察する。先づ被告人らの経歴を見るに証拠上認められる経歴は次の通りである。
(イ) 被告人石原恒は広島市で新聞販売業手伝、喫茶店営業等をなしていたところ、昭和三二年秋頃取込詐欺(負債四七七万余円)として責任を追及されることとなつた為に共犯者甲田武夫と共に九州に逃走し、洗炭業を始めたが失敗したので同三三年二月頃上京し、多々宮勇と偽名して司直の手を逃れて不動産業等をなし、同三四年初頃福田強(本件の金融先)の紹介で不動産業大昌産業株式会社(代表者横井平太郎)に入社し、同三七年初頃株式会社大晶を設立(名目社長横井平太郎)し事務機械の販売をなしたが、同三八年一一月頃不渡手形を出した為倒産(負債千万円位)したので、その頃同一営業目的で共立物産株式会社を設立(名目社長大沢貞夫とし、後自ら社長となる)した。同三八年一〇月頃株式会社大晶の営業部長をしていた甲田武夫が株式会社創元社を設立し事務機械の販売をなすに際し融資をなし、同三九年六月頃創元社に取締役として入社しその実権を握り、(その後業績不良の故をもつて甲田を常務取締役に格下げし、横井平太郎を名目社長とし、後更らに取引対策上必要であるとして横井を引下げて相被告人桑原実を名目社長とした。)同四〇年七月下旬倒産(負債約八千万円)した後は、前記共立物産株式会社として廉価で換金処分した所謂バツタ商品や担保流れ物品を買取つて販売をなし、その頃(一)繊維製品、食料品等の販売を目的とする株式会社新和を設立(名目社長横井平太郎、取締役被告人並びに相被告人桑原実で発足し、後に右桑原を社長となす)(二)同種目的で大東通商株式会社を設立(名目社長谷森緑、取締役被告人並びに相被告人桑原実で発足し、同年一二月半頃長谷川和夫を社長となす)(三)長谷川和夫が持つていた三和物産株式会社を北信株式会社と商号変更(被告人並びに相被告人桑原実が役員となる)したが、(一)(二)の会社は見せ金で設立手続をなし、右新和は同年一一月下旬倒産(負債約七百万円)し、右北信は資金はなく創元社の残存商品であるバター等の販売をなしたが失敗して間もなく閉鎖状態となつたものである。
(ロ) 被告人桑原実は昭和二二年近畿産業株式会社(繊維品販売)に勤務したが事業不振の為解散となり、同二七年九月中井装備株式会社(繊維関係)に入社したが同二九年一二月事業不振の為解散となり、同三〇年四月より繊維製品販売業を始めたが間もなく事業不振で廃業し、同三一年六月大和商事株式会社に勤務し、更らに滝本商事株式会社(繊維製品販売)に勤務したが同三四年一一月退社し、同三七年八月生和ベツト販売株式会社(相被告人高畑滋夫は販売部長)に入社したが営業不振の為間もなく退社し、同三八年春頃東京生命相互保険株式会社の外交員となつたが同年一一月頃右高畑の要望により中小企業共済連合会に勤務したところ数ケ月で倒産し、同三九年四月頃より高畑と共に呉服類の販売業を始めたが仕入商品をダンピングした為数百万円の負債となつて廃業し、その頃株式会社「ひらい」を設立してゴルフ道具の販売をしたが事業不振の為間もなく閉鎖し、同三九年夏頃から高畑と共に国旗の販売を始めたが、高畑の旧債の為差押を受けて継続不能となり、被告人は約四〇万円位、高畑は約二四〇万円の債務を負つて廃業し、同四〇年二月初頃高畑と共に株式会社創元社に入社し、同年六月名目上の社長となり、同年七月下旬倒産した後は前記株式会社新和に加入し、同年一一月下旬倒産後は前記大東通商株式会社の監査役となつたものである。
(ハ) 被告人高畑滋夫は昭和二八年日産商事株式会社(ミシン等販売)に入社したが、同三四年営業不振で解散し、同三六年四月より生和ベツト販売株式会社に入社し販売部長となつたが、同三七年一一月倒産したので、同三八年初頃中小企業共済連合会を作り衣料品の斡旋等をなしたが同三九年初頃倒産し、その後は繊維製品のブローカーを始め、翌三九年四月頃から桑原実と共同で呉服類の販売業を続けたが商品をダンピングした為負債数百万円となつて廃業し、同三九年夏頃から桑原実と共に国旗の販売をなしたが旧債の為差押を受けたので多額の負債となつて廃業し、同四〇年二月桑原と共に株式会社創元社に入社し、同年五月下旬取締役となり同年七月下旬同社が倒産した後は同年九月休眠会社を株式会社トービシと社名変更して社長となり、同年一一月経営不振の為に名古屋方面に逃走して身を隠くし妻とも音信を絶つていたものである。
(ニ) 被告人伊藤恵治は昭和二八年四月産業経済研究所に入り、同三三年二月株式会社アトムに、同三五年七月日本経済公論社に、同三七年三月高千穂商事株式会社(薬品商)に、同年六月石井商事株式会社(薬品商)に、同三九年三月電電公社内電気通信共済会薬品部に移つたが、同四〇年一月株式会社創元社に入り、同年七月下旬倒産後は高畑と共に前記株式会社トービシを経営し、同年一一月倒産したので、同年一二月日栄販売株式会社と社名を変更しその社長となつたものである。
(ホ) 被告人河田登は昭和二〇年一〇月協和積機株式会社(精密機械製造)に入り、同二七年九月大栄商事株式会社(不動産業)に、同三五年五月関東アレンレジスター株式会社(金銭登録機販売)に、同三七年四月東邦機器株式会社(リコピー販売)に、同三八年九月株式会社大晶(リコピー販売)に移つたが、三ケ月位で倒産したので同年一一月株式会社創元社に入社し、同四〇年七月下旬倒産した後は株式会社北信に入り、同年一一月株式会社川口商店(食料品等販売)に移つたものである。
(ヘ) 被告人西田太郎は昭和三一年春頃より関東電気センターを経営してバツタ商品の売買をなし、同三二年初頃より西田電気商会を経営して電気器具の販売をなしたが同三五年四月負債数百万円となつて倒産し、同年八月プラスチツク加工業を始めたが失敗して廃業し、同三六年初頃より中野興産会社(不動産業)に勤め、同三八年七月より日本不動産会社(福田強経営)に移り、同三九年夏頃よりバツタ商品の仲介と金融業を始め、同年一一月頃見せ金で株式会社東工を設立し、同四〇年三月初頃より株式会社創元社に出入りしてバツタ商品の売買と金融業を続け、同年九月頃より株式会社トービシに出入し、同社の倒産後は日栄販売株式会社(伊藤恵治が社長)に出入して居るものである。
以上の経歴でわかるように被告人等はいずれも商品販売に経験があり、被告人石原、桑原、高畑はダンピングが経営を破綻させるものであることを十分に知つて居るものと認むべきである。
被告人伊藤恵治の供述調書には創元社に入社当時に、被告人石原より販路はあるから商品を集めてくれ仕入れ商品の一〇%を歩合としてやるといわれたとあり、被告人高畑滋夫、桑原実の供述調書にも同旨の記載があり、被告人河田登の供述調書にも右のような話をきいた旨の記載があり、原審法廷において被告人伊藤、高畑、桑原、河田はほぼ同旨の供述をなしている。又被告人桑原、伊藤の供述調書には昭和四〇年五月頃被告人石原は、仕入のノルマを桑原と高畑には月三〇〇万円、伊藤には月二〇〇万円とし、ノルマを完遂した者には数日間の温泉旅行をさせるといつたとあり、原審法廷において被告人桑原、伊藤はほぼ同旨の供述をなしている。通常商社においては仕入れることより販売の方が重視されるものであるのに、被告人石原らの経営する創元社においては仕入れが重視され、どの様にして仕入れるかということに苦心が払われて居るのであるが、これは当然に仕入商品のダンピングが予定されて居るというべきで、仕入の一〇%の歩合をやるとか、仕入ノルマを決めて特別の手当を出すとかいうことは、それを窺わしめるものである。被告人伊藤、桑原、高畑の供述調書には創元社に入社後間もなく創元社は所謂バツタ屋であるとわかつた旨の記載があるが、これは同人らの経歴からして肯けるところである。又被告人河田登の供述調書によれば、同人は株式会社大晶時代から被告人石原の下で働いて居り、創元社においては本件の取引以前からダンピングをして居ることを知つて居たというのである。従つて、被告人らは、創元社では、仕入商品の代金未払の時期においてその商品の多くをダンピングして資金や旧債の支払に充てることを知り乍ら被告人石原を中心として行動していたと認むべきであつて、その旨の記載がある被告人らの各供述調書は十分に信用し得るところである。
被告人らの原審法廷における供述は犯意と共謀に関する限り殆んど信用し難いものである。殊に被告人石原の、判示第四の事実(ゴルフボール騙取の点)についての弁疏は他の被告人の失笑を招く程作為的であり、又判示第一〇の事実(株券詐取の点)につき原判決が特に説示する程その弁疏は独善的と認められるのである。
従つて、原判決が、右各供述調書を信用すべきものとして採用し、罪証に供したことは正当である。
原判決がハスキー販売サービス株式会社関係の犯意について「被告人石原は、一番最初の取込詐欺と一番最後のそれの各確定的犯意は、その間に違いはないとみられるに反し、その余の被告人の場合は、その当初の犯行と終末の犯行との間において、確定的犯意の点は、段階的に進歩を来たしているといつてよい。つまり、終末に近ずけば近ずくほど、その確定的犯意は、ろう固となつてくるという特色が本件において認め得る。」(七二頁以下)と説示した点は十分に認められる。即ち原判決がハスキー販売会社との取引開始前の株式会社創元社の営業状態を認定(四六頁以下)したところは肯認し得るが、これによると、以前からの負債を抱え、ダンピングを続け、昭和四〇年一月頃は負債額約一八八〇万円(内高利の借金一四〇〇万円)で毎月の支出(高利の支払、事務費、人件費)約二〇〇万円を要し、担保に使うという不動産の頭金は借金で支払い、残金は未払いであつたのである。従つて仕入れ商品が右から左へと売れて行き直ちにその代金が入つて来るのでなければ経営が成り立たないことは見易い道理であつて、仕入れ商品のダンピングということは予定の所行というの外はない。株式会社創元社が倒産したのは他からの融資が受けられなかつたが為であり、八、九月を越せば国鉄関係より多額の発注があり赤字を埋めることが出来た筈だとの弁疏の如きは全く取るに足りない。前記の如く昭和四〇年一月現在の負債は約千八百万円であつたものが、同年七月には負債約八千万円となつて居るのであつて、これが赤字を解消するような事態になるということは奇蹟を説くに等しいのである。原判決はこの点について「現今の経済取引事情の下で、何千万円もの借金、しかも高利の借金がその半分以上も占めているような会社が、仕入れた商品の過半数を直ちに五掛六掛でダンピングして、しかもなおかつ企業経営が成つ立つていくというような弁解は、全く無茶苦茶なものだといつて差支えない。」と説示して居るが、全くその通りで、真実右のように主張するのであれば異常な思考状態というべきである。又被告人石原は価値ある担保物件を提供して居るのであるから相手方に損害をかけることはないと弁疏し、他の被告人らも同旨の弁疏をなして居る。原判決はこの点についても詳細に検討し(六一頁以下)担保は本来の債務不履行に備えてのもので、第二次的な防護措置でしかなく、担保不動産があれば、取込詐欺の犯意は不成立であるという命題は成立しないと説示しているが、普通取引において重視せられるのは代金支払の能力の点であつて、支払不能となつた場合の担保物ではない。担保物件を代物弁済として取得することを希望する高利金融の場合はいざ知らず、普通取引において担保物が効果を現わすのは不測の事態というべきである。
原判決はハスキー販売サービス株式会社関係の共謀について「被告人桑原、高畑は主としてハスキー販売への発注を担当し、同河田は主としてダンピングを担当し、同石原は全体の総括者的立場であり、同伊藤はとくに担当部門は決つていないという風に、各人の担当部門に違いはあつても、相互に相協力して本件詐欺を敢行する意思の存在は十分に認定し得る」とし、明確なる謀議が何時どのようにしてなされたかが証拠上認められなくても、主観的にも客観的にも共同して商品を取込んでいるという事実からして共謀共同正犯の成立を認定せざるを得ないと説示して居るのであるが、共謀の認定について看過し得ない点は被告人らの経歴である。被告人石原、桑原、高畑、伊藤は共に仕入商品をダンピングして失敗した経験があり、(石原は起訴猶予処分を受け、伊藤は有罪の判決を受けている)被告人河田は株式会社大晶時代から被告人石原の下で働きダンピングによる経営を体得して居るのである。而してハスキー販売会社との取引を始めるにいたつた事情は星崎電気株式会社とのジユース自動販売機の取引が出来なくなつた苦境打開策としてであり、被告人らが話合いをとげた上のことであるから、その仕入商品をダンピングすることは当然なこととされていたと認められ、発注、荷受、ダンピングの為の持込、その代金の受領が、何人の抵抗もなく、流れる如く一連の行為として行われて来たのはその故であると認められるのである。そこには、何時かは何とかなるという自己欺瞞的な気持と、誰かが何とかするという逃避的な気持とがあつたと思われるのであつて、何時、何処で、どのように話合われたというものではなく、行動を通して相互の意思が伝わり合い、相互協力という行動として現われたものと認められるのである。被告人らが共謀を否定するのはこれが為である。このことは犯意否定についても同様である。被告人らは、籠ぬけとか、夜逃げとかいうような明らかな騙して取るという行動をしたのではなく、商取引という形態をとり、一部の代金を支払い、一部の商品を正常に販売して居る為に、不払や倒産は不手際であり不運であつたとの弁明をしようとするのである。しかし、それは余りにも自己中心的であり、商取引の正常なあり方に反する考え方である。取引の相手方としては、代金支払を不確実にするような事実を知つていたとすれば、特段の事情がない限りその商談に応じない筈であり、その事情についての秘匿が、商談を進めるという積極的な行為と相俟つて詐欺罪における欺罔行為となり、犯意の存在の認定を受けることとなるのである。従つて、原判決が「真実は仕入商品の大部分を直ちに俗にいうバツタ屋に安価に処分して会社の運転資金や自己等の個人的用途にあてる目的であるのにその情を秘し、かつ代金の支払の意思及び能力がないのにあるように装い」と判示したことは正当である。
共謀が前叙のように認められるのであるから、各人の行動がそのどの部分であつたかということは、犯罪成立の点からは重要ではなく、常に個々の行為に関与することも必要ではないのであつて、すべて一連の行為としてその責任を負うべきものである。従つて、役員名義があつたかどうかなどということは、犯罪者中でどの様な地位を占めていたかという犯情の問題であり、発注、換金のどの部分に関与したかということも又同様である。
(久永 津田 四ツ谷)